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拙者、鬼になり申す

からりと晴れた碧い空に入道雲が立ち昇っている。
今朝の金兵衛長屋は大家が冷や水を振る舞い、賑やかな笑い声に包まれている。

磐音に好意を持っているおきねが矢場の用心棒を頼んできた。
姉思いの幸吉が話を持ち掛けてくれたお陰だ。
磐音は気付いているのかいないのか、いつもと変わらない穏やかな笑顔を残して今津屋へ出掛けていく。



陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~
第七話『指切り』




今津屋の口添えにより両替商藤屋を訪ねた磐音は、五千両もの不正な借財をなした人物、関前潘留守居役原伊右衛門の名を知ることが出来た。
藤屋の番頭九兵衛によると、江戸家老篠原三左の病気にかこつけて返済を遅らせ藤屋を困惑させているという。
「ご迷惑をおかけしており申す」
自分の非であるように頭を下げる磐音。
その真摯な姿を由蔵はじっと見詰めている。

関前の困窮は変わらないが、求める真実へ一歩近付いた。
「関前にお戻りなされませ。その中で腕を振るわれるとよい」
帰路、諭すように言う由蔵のあたたかい言葉。

磐音の心は揺れている。
関前を離れた自分に出来ることとは一体何だろうと…




おきねの仕事場、矢場の金的銀的は今日も賑わっているようだ。
矢返しの女たちにとって、どんな客にも愛想を振り撒かなくてはならない。
仕事とはそういうものだ。
そんなおきねの気持ちを察して微笑む磐音。
おきねは嬉しそうだ。


金的銀的の主朝次は、近頃出没する矢場荒らし三人組について、磐音に事情を説明していた。

隠居風の男を筆頭に若侍と若い女の三人組が賭け矢を挑み、荒稼ぎをしているという。
矢を射る女の腕前は相当なものらしい。
結改(賭け矢)での賭け金は五十両、浅草あたりの矢場はこの者たちによって何軒も潰されているのだとか。
この東広小路に足をのばしてきた時が磐音の仕事ということになる。


磐音が用心棒として詰めるようになって間もなく、金的銀的の様子を窺っている一人の女。
矢場荒らし三人組の一人、おかるだ。

すいとその場を離れたおかるは、煌めく水面に小船を出し匂い立つような白装束で水垢離を始めた。
何かが狂っているような、どこかに違和感を帯びた異形な艶を放つ姿。



夜更け、長屋に戻った磐音とおきねを磯次が待っていた。
おきねの気持ちを察している磯次は磐音に頭を下げる。
「よろしく頼むわ」
娘を案じる父の顔。
普段はどんなに乱暴な口を利いていても、娘を心配しない親はいない。

「お任せあれ」
頷く磐音の目は、父と娘の普段は見せないお互いへの気遣いに微笑んでいる。




関前に戻るという中居半蔵は、江戸入りしたばかりの主に藩の逼迫した状況を知らせていた。
藩主福坂実高は、急ぎ国許へ戻り国家老宍戸文六の不正を正すべしとの命を中居に与えていたのだ。

そして磐音の父、坂崎正睦の手紙には、磐音たちの悲劇が仕組まれたものであったという疑惑への苦い思いが綴られ「人間我慢辛抱が肝要、いつか必ず」とあった。
それは関前藩の中老としてではなく、ひとりの父としての言葉なのだった。

このまま宍戸派に牛耳られていては、関前藩の未来は混迷の一途を辿るばかり。
藩の行く末を、父の身の上を思い、悩む磐音に中居は告げる。
「国元へ共に参らんか」
友の無念を晴らしたくはないかと。

藩を出た浪々の身ゆえ即答出来ない磐音だが、藩主自ら許しを与えたのだと中居は告げるのだった。




東広小路の矢場、金的銀的。
磐音は店が見渡せる所に控え様子を見守っている。
おきねを指名した客はなんと品川柳次郎だ。
ちょくちょく顔を見せているらしい。
柳次郎のお目当てがおきねだと知っている女たちにからかわれて焦る柳次郎。
磐音の仕事が矢場の用心棒と聞いて目を丸くしている。


そこへ新たな客が入ってきた。
明るい矢場の雰囲気が一瞬にして張り詰めたものに変わる。
矢場荒らしと目される三人組が現れたのだ。

若侍、隠居風の年寄り、小粋ななりをした若い女、おかるだ。


主を呼び出した三人組は、双方五十両ずつ百両総取りの勝負を挑んできた。
断れば、矢場の名折れ。
看板を持ち去ると脅され、勝負を受けるしかない朝次。

「さぁ、誰が相手だい?」
自信たっぷりに弓を試しているおかるの様子に、矢返しの女たちは震えている。
客に愛想をふりまくのも矢場で矢を射るのも家族のため、平和な暮らしのため。
化粧をして気丈に振舞っていてもごく普通の娘たち。
賭け金が高すぎるのだ。

「親方、私がやります」
そんな中で声を上げた者がいる。
おきねだ。
おきねは、大きな瞳に覚悟を秘めて唇を引き結んでいた。


勝負は20本ずつ200本、交互に矢を射る。
1本でも多く的に命中させた者が勝ちとなる。

片膝を立て流れるような仕草で矢を射るおかるはかなりの名手のようだが、おきねもバラつきはあるもののよく集中し命中させていた。
ほぼ、互角の腕…と見えたが。


勝負に動きが出た。
それぞれ100本目に入った頃、全く乱れないおかるに対し、おきねの精神力が途切れ2本外してしまったのだ。

「ここにてしばらく休息をとりやす」
親方の言葉に悠然と茶を飲むおかる。


矢場を出ると、いつの間にか日は落ち月明かりに波が煌いている。
川のほとりにひっそりと佇むおきねの名を磐音が優しく呼ぶ。
振り向いたおきねの大きな瞳が今にも泣き出しそうだ。
「もう射てない」

大金を失う恐れに「怖い」と縋るおきねを磐音は励ます。
「自分を信じるのです。」
「諦めたらそこで仕舞いとなります」

どんな相手でも全力でぶつかれば活路は開ける。逃げてはいけないと、おきねの目をひたと見詰め明るく言い聞かせる磐音。

しばらく目を伏せ逡巡したおきねは、自分を奮い立たせるように頬を叩き、もう一度勝負に臨む決意をして店に戻っていった。

磐音の言葉をそばで静かに聞いていた柳次郎を振り向き、「しばらくここを頼む」と磐音は突然走り出す。
飛び込んだのは今津屋だった。
吉右衛門に手をついて、何かを願う磐音。
おこんもそれに倣い、二人で頭を下げるのだった。


金的銀的では、結改の勝負がついていた。
2本の差は縮まらずおかるの勝ちとなり、矢場荒らしたちの二百両総取りとなってしまった。


意気揚々と両国橋を渡る三人をおきねが必死で追ってくる。
「お金を返してください!そのかわりにあたしを吉原にでも何でも売って下さい!」
おきねの覚悟を鼻で笑い邪険に突き放す男。
後から追ってきた朝次がおきねを止める。
「もういいのだ」と。


その時、月明かりを背に一人の侍が現れた。
「てめぇはなんだ」
「それがし、東広小路の矢場13軒の用心棒でな。おきねさんを苦界に沈ませるわけには参らぬ」
穏やかな笑顔でそう言った磐音は、小判五十両を手に剣の勝負を誘いかける。
「三人にても構わぬがいかがかな?」

静かに橋の中央に立つその姿には殺気の欠片もなく、爽やかでのどかな風情さえ漂っている。
ゆったりと刀を抜くと、上段からいつもの居眠り剣法の構えを取る磐音。

矢場荒らしの若侍は居合いを得意としているのか、磐音に目を合わせたまま、こちらもゆっくりと刀に手をかけぴたりと静止する。

駆けつけて来たおこんも見守る中、あたりは薄い靄に包まれ、月光が密やかに射し込むばかり…

無音の中、若侍の袴を風が揺らした瞬間、居あい抜きの剣が磐音に襲い掛かる!
磐音は相手の刀を掬うように払い上げ、切っ先を叩き折っていた。
一瞬で決まった勝負。

喉元に差し当てられた磐音の包平に身動きもならない男。
「戦場なら既に死んでおる」
磐音の厳しい顔にがっくりとうなだれている。
「この礼は必ずさせてもらう」との捨て台詞を残して去る矢場荒らしたち。


緊張の糸が切れて泣き崩れるおきねを柳次郎に託し、おこんとともに今津屋に取って返す磐音だった。
磐音が刀勝負に使った五十両は今津屋から借り受けたもの。
おきねが万が一負けた時、剣の勝負で取り返すつもりだったのだ。



矢場荒らしの一件も解決し関前に戻るという磐音に、おこんの心は切ない。「このまま奈緒さまを放っておかれる坂崎さんは私は嫌です!」
そうは言ったものの本心は淋しいに違いない。

磐音の気持ちと奈緒を思い、「どんなひとなんだろう。綺麗な人なんだろうな」と呟くおこんをお艶はあたたかく励ます。
「あなたも綺麗ですよ」


今津屋の由蔵からは、藤屋から借りた関前藩の五千両の証文写しと添え書きを餞別だと渡される。
事が成就すれば藩への帰参も許されるだろうと言う由蔵を遮り磐音は「必ず江戸へ戻って参ります」と二人に告げるのだった。



まだ夜も明け切らない早朝、井戸端で磐音に礼を言うおきね。
「でも、最初から負けると思ってたんでしょ?」
ちょっと甘えるような言葉。
おきねは「今度の休みに付き合って」と。
礼をしたいからと磐音に頼んでいた。

磐音にはやらなければならない事が待ち構えている。

関前に一度戻るという磐音に驚くおきね。

「必ず戻ってきます」
「ほんとに本当に帰ってくる?」
「じゃ、約束して」
「必ず」

磐音の手をそっと取りおきねは小指を絡めて歌う。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます」
おきねの顔はまるで少女のままの無邪気さ。
この笑顔が歳相応の素顔のおきねなのかもしれない。

しかし磐音の笑顔はふと貼りついたように静止する。
耳に聞こえてくる波の音。
奈緒と関前で交わした約束の情景が磐音の目に浮かんだのだ。

江戸へ発つ前、必ず戻ると。
待っていてくれと涙顔の奈緒と指切りをした海だ。

はにかむおきねの笑顔に重なる淋しげな奈緒の泣き顔。
「指切った」
磐音の心は遠く関前へと飛んでいたのかもしれない。



朝の日差しが差し込む戸口で磐音は金兵衛と話している。
淋しくなるなと肩を落とす金兵衛。
「二月もすれば戻ります」約束する磐音。

そこへ、松吉の叫び声が聞こえる。
「おきねが殺された!」と。



おきねの亡骸を前に泣き崩れる磯次と幸吉。
長屋の者はみんな、朝次もそして地蔵の親分もおこんも傍にいてただ泣くしかない。
なぜこんなことに…
誰の胸にもその思いが渦巻いて声をあげさせていた。

地蔵の親分によると、矢場へ向かう途中三人組に襲われたというのだ。
前後からいきなり斬り付けられあっという間に命を奪われたのだと。

磐音の胸倉を掴み「任せろって言ったじゃねぇかよ!!」怒りと悲しみに繰れる磯次。
磐音は、されるがままになりながら、ただじっとおきねの顔を見詰め歯を食い縛っていた。

今もおきねの声が耳に残っている。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます」



笹塚の元を訪れた磐音は、矢場荒らしの情報を掴んでいながら野放しにしていたと怒りを露にし、笹塚を睨み据えて言い放つ。
「それがし、鬼になり申す」

西本願寺をねぐらにしているという情報に、矢場荒らしの仲間割れで殺されたとなると構わぬと、仇討ちを焚き付ける笹塚。

「あいわかった」
刀を手に立ち上がった磐音の元へ柳次郎も駈け付けて二人は走り出す。
夜の闇を敵の元へ!

寺の境内で火を熾し休んでいる矢場荒らし三人組。

その前に現れたのは、もはや居眠り磐音ではなく。
怒りに狂った男。
「おぬしらだけは許さん!」

叫び声を上げて殺到する死の刃は、一撃で三人の命を奪ったのだった。

息を弾ませその場に立ち竦んだままの磐音を見て、笹塚は囁くように竹蔵に言う。
「居眠り剣法を怒らせると怖いのう」
したたかな与力は矢場荒らしたちが稼いだ金を奉行所の探索費用に組み入れる心積もりだ。


抜き身を鞘におさめることも忘れ呆然と立つ磐音の目には、松吉が矢場荒らしを足蹴にする姿と悲痛に叫ぶ柳次郎がただ映っている。
そこには既に怒りの色もなく、涙がにじむ目を上げた夜空に、星がひとつ流れ落ちていった。




翌朝早く、長屋には旅支度を整え三柱の位牌の前で手を合わせる磐音がいる。
そこへやってきたおこんは、おきねの仇を討ってくれたことへ涙ながらに礼を言うのだった。

仇を討ってもおきねは帰らない。
後悔と悲しみ。
磐音の心が晴れるのはいつなのだろう。
しかも、これから向かう故郷には大きな苦難が待ち受けているのだ。


戸口を開けると、幸吉が叫ぶ。
「浪人さんも行っちまうのかよ!」
磐音は、微笑んで。
「必ず、必ず戻ってきます、師匠」
と約束した。

「ほんとよ、ほんとに帰ってきてね」
「約束したんだろ、おきねとよ」
「鰻割きの仕事ちゃんと空けておきますよ」
「あたいが生きている間に戻ってきておくれよ」

長屋の人々のあたたかい心に磐音はいつもの笑顔を取り戻し
「はい」とはっきり答えるのだった。


幸吉の叫ぶ声とおこんの涙顔。
磐音には、帰ってくる場所がここにある。


江戸を後にし、一路豊後関前の故郷へ。

藩主実高と、父正睦。そして奈緒。
大切な人々が待つ地を目指し、急ぐ磐音だった。





はい。
また長くなってしまいました(^_^;)
居眠り磐音はエピソードがたくさんあり過ぎて、しかもどれも大切なものですから纏めるのは難しいですねぇ。
佐伯先生の頭の中はどうなっているんでしょ☆

やはり旅をして、その土地の空気を感じ取っていないと本当の文章は書けないものなんでしょうね。

今、原作の17巻目に入りました。
面白くて止められない…毎日寝不足です。
関西はまだ昼間は暑いので夏バテの身体に寝不足は堪えます~
もはや、居眠り磐音中毒といったところでしょうか(@_@;)

7話。
おきねちゃんの悲劇はわかっていたことだけど、幸吉くんのお姉さんという設定がドラマを益々辛くしていました。
磐音にとっても長屋暮らしで何かと助けてくれていたおきねちゃんへの思いは深いものがあったと思います。

普段穏やかな人が怒ると、もの凄く怖いもの。
居眠り磐音を怒らせると本当に大変です。


橋の上での立ち合い。
光を背負って現れた姿が印象的でしたね。
おもわず「来た~!!」と叫んだ私。

そして今回も光の扱いが粋です。
小船で中居さまと話す時のゆらゆらと揺れる光や、 屋内と外の空気の密度の違い、季節と時を感じさせてくれる光の色合いにいつも綺麗だなぁと感心しています。

おかるさんも妖しい美しさが良かったですね。
とっても色っぽかったです。
対するおきねちゃんの純粋さが際立って見えました。

そしてやはり磐音さまです。
目の色で全てを語るって…

おきねちゃんとの指切りのシーン。
笑顔だった磐音の顔がほんの少し目を見張るだけ、口元を下げるだけ、そのちいさな表情の変化だけでなんて多くのことを語るのだろう!とびっくりしてしまいました。

by aquadrops | 2007-09-26 15:16 | TV