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夜の翼がひらめくとき

美と退廃。
この対極なるものを表裏一体な存在として生み出した詩人の心。
そこにはどんな葛藤や望みがあったのだろう?
それともただ気まぐれに斬新なアイデアを具現化するべく筆を走らせただけなのだろうか?

1854年に生まれたオスカー・ワイルドの想いに遠く胸を馳せ、もし彼が現代に生きていたとしたらどんな作品を文章にのせて描き出すだろうと、そんなことをふと思いながら原作を読み返しています。


原作に対して感じるものも舞台を観る前と観た後とでは随分変わりました。
ドリアンがヘンリー卿の言葉によって変わっていったように、人の心は容易く変わってしまうもの?
それもいいのかもしれない。

今は、ヘンリー卿の哲学のような逆説を少しだけ味わえるようになりました。
言葉の持つ意味、隠れた真理。
表現の奥底にある矛盾のような真実。
深いです。



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さて、『ドリアン・グレイの肖像』兵庫公演から1週間経ちました。


三日間の刺激的な夢は終わり、戻ってきた日常をいつものように暮らしています。

でも、ふと立ち現れるあの時代、あのイギリスの夜の帳が記憶を呼び覚ます…


青白い月光と揺らめくランプのかすかな橙色。
霧に煙る怪しげな魔窟の匂い。
巨大な肖像画の額縁はそれ自体が生き物のようで神々しいまでにおぞましく。
銀色に煌めくナイフが目を射るたびに心臓が音を立ててわめきだす…

ドクン、ドクン、ドクン…



「化け物みたいな夜の翼が鉛色の空気を纏ってぼくの周囲を飛び回っているような気がする!」
そんな妄想に苛まれるほど…

孤独だったに違いない。
恐ろしかったに違いない。

心の中は焦燥と慙愧が渦巻き、友人に助けを求めるすべも思い付かないほどに。

そして、負の感情全てが「もう一人の彼」に刻まれていく。





ドリアンが狂おしく求めたものは一体なんだったのだろう。
彼が何事にも懸命であったことだけは確かだけれど…
美と永遠の若さを手に入れても、引き換えに失ったものは数知れず二度と戻る事はない。
強い自己愛に駆られた結果思うがままに罪を重ね、「快楽とは人を愛することだ」と言いながらも、彼が真実人を愛したことがあったのだろうか?

ヘンリー卿が探ったドリアンの出生の秘密。
答えはそこに隠されているような気がします。

祖父によって父を奪われ母のぬくもりを知る事もなく、後見人となったその祖父はただ遠く。
華やかなサロンやパーティで人々の注目や羨望を集めたとしても。
富と名声は子供の心を育ててはくれない。

親でなくてもいい、たった一人きりでいい。
子供には無償の愛情を与えてくれる存在が必要だと思うから。


ドリアンがひたむきに追い求めていたものは…
それは「愛されたい」というごく普通の、痛ましいまでに強い願いだったんじゃないか。
そう思えてなりません。

簡単で当たり前なものほど目の前にあっても気付けず、失くしてからその大切さを思い知る。




100年以上前の貴族社会も現代も、世の中の流れは早く移ろい易くとも、人間の本質はあまり変わってはいないのかもしれません。

by aquadrops | 2009-09-18 21:09 | Stage